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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)8335号 判決

原告

桐野一文

右訴訟代理人

松本才喜

木下達郎

被告

武見太郎

右訴訟代理人

山崎佐

藤井暹

兼子一

中島一郎

主文

一、被告は、原告に対し、つぎの取消記事を、本文は明朝九ポイント、その他の部分は明朝五号活字をもつて、東京都内で発行される日医ニユース第一面に掲載せよ。

取消記事

昭和三六年九月二〇日付日医ニユース第一号号一面に掲載された貴殿に関する「日本医師会長武見太郎」と署名の「終戦から懇談会発足まで」と題した記事のうちの『御用第二医師会設立の準備』と小題を付した記事およびその記事中の「別記」とある部分にあたる同ニユース第四面『医師の良識はこれを粉砕』と題した記事は事実に反し貴殿の名誉を毀損したものであることが判明いたしましたから、右部分はいずれも取り消します。

日本医師会長 武 見  太 郎

東京都豊島区千早町 桐 野  一 文 殿

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

(原告の求める裁判)

一  被告は原告に対し、つぎの謝罪広告を、本文は明朝九ポイント、その他の部分は明朝五号活字をもつて、東京都内で発行される日医ニユース第一面ならびに東京都内で発行される毎日新聞(東京・大阪・中部・西部および北海道併載)、朝日新聞(東京・大阪・中部・西部および北海道併載)、読売新聞(東京・大阪・北海道および北陸併載)、日本経済新聞(東京および大阪併載)および産経新聞(東京および大阪併載)の新聞紙上に各一回掲載せよ。

謝罪広告

昭和三六年九月二〇日付日医ニユース第一号第一面に掲載された貴殿に関する「日本医師会長武見太郎」と署名の「終戦から懇談会発足まで」と題した記事のうちの『御用第二医師会設立の準備』と小題を付した記事およびその記事中の、「別記」とある部分にあたる同ニユース第四面『医師の良識はこれを紛砕』と題した記事はいずれも事実に反し、貴殿に対する世人の認識を誤らせ、貴殿の名誉と信用を著しく傷つけ誠に申訳ありません。

よつて、ここに深く陳謝するとともに、将来再びかような行為をしないことを誓約します。

日本医師会長 武 見  太 郎

東京都豊島区千早町 桐 野 一 文殿

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

(被告の求める裁判)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

(原告の請求原因)

一原告は、昭和三六年東京大学医学部医学科を卒業し、昭和一六年一月東京大学から医学博士の学位を授与され、昭和一八年八月から東京都豊島区池袋において医業を開業して現在にいたり、その間、東京都社会保険診療報酬支払基金審査員、東京都結核予防法審議会委員、東京都国民健康保険診療報酬支払基金審査員、社団法人東京都豊島区医師会会長、東京都医師会理事および東京都医師会代議員となり、あるいは現にその地位にある者であり、また、昭和二二年日本医師会(以下「日医」と略称する。)創立以来の会員として、その義務を忠実に履践し、医政諸問題に対しても終始協力して責務を遂行して来たものである。被告は日医会長の地位にある者である。

二日医は、昭和二二年一一月一日厚生大臣の許可により設立され、「医道の昂揚、医学医術の発達普及と公衆衛生の向上とをはかり、もつて社会福祉を増進すること」を目的とする「全国を区域とし、社団法人である都道府県医師会の会員をもつて構成する」社団法人で会員約七二、〇〇〇名を擁する。

日医は、従来、「日医特報」と称する新聞を発刊していたが、さき頃、制限診療の撤廃、一点単価の引上げ、事務繁雑化の是正および甲乙二表の一本化と地域差の撤廃という強力な闘争要求を掲げ、いわゆる保険医総辞退に突入の行動をもつて世の耳目を聳動し、やがて重大な社会、政治問題を招来せんとした矢先、政府とある合意に到達したのを機会に、右「日医特報」を昭和三六年九月廃刊し、新たに「日医ニユース」を毎月五日および二〇日の二回刊行することになつた。そして、昭和三六年九月二〇日日医は日医ニユース第一号を発刊し、会員各別に郵送頒分した。

ちなみに、日医ニユースの発行部数は、全会員に頒布するほか関係方面に配布購読されるものであるから、少なくとも七万数千部におよぶものである。

三被告は、昭和三六年九月二〇日付日医ニユース第一号第一面に冒頭の発刊の辞につぐ三段抜きトツプ記事として、「終戦から懇談会発足まで日本医師会長武見太郎」と題し、ついでその第五、六段に二段抜きで「御用第二医師会設立の準備」という表題で別紙記載の記事(一)を掲載した。そして、右記事(一)中の「別記」とある部分にあたる記事は、同号第四面トツプ三段抜きで、「医師の良識はこれを粉砕」「平賀日病参与ら御用医師会を画策」と題して掲載されたものであつて、その内容は別紙記載の記事(二)のおとりである(以下記事(一)および(二)を併せて「本件記事」という。)。

四本件記事は、つぎの諸点において、原告の名誉を毀損するものである。

(一)  本件記事は、「突入後の脱落医師と公的医療機関勤務医師をもつて第二医師会を設立せしめ中央にも第二日医の設立を企て……万端の用意はされている」として単なる噂話のような書き出しをしているが、「御用第二医師会設立の準備」と見出しをつけ、ついで「第二日医設立による医界の分断工作は八月二七日学士会館における……都医代議員桐野一文、岡本丈氏等を中心とした日医会費供託等の動きとなり、さらに学習院講堂における古井、桐野……諸氏の講演会となつた」「今日も分断工作は終つていないことを忘れてはならない」と断じ、つづいて「両会合において主催者が満場の反撃をうけたことは別記の通りである」と結び、その『別記』はもつともらしさで詳細を極めている。

右は「医界の分断工作」、「第二日医設立の企て」、「医会費供託の動き」という全然事実無根のことを報じ、原告が脱落医師であり、全国的医師の組織である日医を分裂せしめてその統一を紊し、医会費供託をもつて会の運営と活動を阻害し、別に「御用」団体である第二日医設立を工作、画策をし、さらに今もこれをつづけている策動分子、陰謀家、権力追従者であるかのような誤つた強い印象を与えるべく宣伝し、また、原告が右両会合の主催者として、「満場の反撃をうけた」と断定した架空の批判と評価を報じ、原告を侮蔑劣視してその人格を傷つけようとしたものである。

(二)  ついで、「攪乱会合の実況と結果のルポ」と注釈づきの前記『別記』の記事において、「統一行動に反対した異端分子……が医界攪乱の動きを見せるであろうことは予想されていた」「この世紀の大事業をくつがえそう」とする運動が起つていると報じている。その異端分子、攪乱会合をもつた者、大事業をくつがえそうとする運動を起した者が、前記第一面の記事および第四面のこれにつづく全記事からして、原告を指しているものにほかならないことは読む者の一見して看取できるところである。これは、主観的な見解、臆測に基づき原告の出席した会合の目的、内容を歪曲し、故意に日医の内外に原告が背信、背徳の輩であるかの如き認識を与えようと宣伝し、原告の信用を傷つけたものである。

(三)  さらに詳述すれば、つぎのとおりである。

原告を含む日医会員有志の間には、かねてから、医療問題は混乱を重ねるばかりで進展の道もけわしいから、一般会員もひとり日医の幹部まかせではなく、身近かな自らの問題として理解と研究を深いためという希望があり、昭和三六年六月から、東京大学医学部出身の有志医師を中心として同好の者が、時に日曜日に集まり、国民医療に関する懇談会を開くようになつた。

そして、(イ)同年八月二七日学士会館で約二〇名の者が、古井前厚生大臣を招き、その在任時の政策や告示についての説明を聞いた。この結果、さらに広く有志の研究の資に供しようと同年九月八日学習院講堂で同人を聘し、講演会開催となつた。右八月二七日の会合には、被告が前記紙上で指摘する(第一面)健保連高橋専務理事は出席していないし、原告は旅行のためわずかに閉会まぎわの午後九時頃出席したが、一言の発言もなくして散会している。なお、、原告は、「医療評論家と称する札付ジヤーナリスト」=「事務局長候補者氏」〔日本医事新報一九五一号九〇頁および同一九五三号九〇頁により知り得るところによれば大渡順二氏を指称するもの〕とは、同年九月二〇日頃にいたり初めて面識を得たものである。ところが、「日医会費供託等の動き」(第一面)「八月某日……日医会費を供託して日医を失脚せしめようという動議が出された」「これは見事に粉砕された」(第四面第二段)等と叙上事実に即しない記事を掲載することにより、原告が中心となつて、いかにも医界分断工作をし、今もなおつづけているといかにも真実らしく世間に思い込ませる宣伝をして原告が破壊分子であると印象づけ、その人格信用を傷つけた。

(ロ) 「九月八日学習院講堂で『古井前厚相に医療問題をきく』との都医有志の会合があつた。これは豊島区の前医師会長桐野氏が代表で招集したもので」「これは反日医グループが医界攪乱の足場としようとするたくらみだとの流説」「桐野氏は古井氏に話をきく理由に今回の医界のとつた方針を攻撃し……『古井様』の顔を見たものは……」「歴代の厚生大臣中仕事をやつた人は『古井様』だ…」「『古井様』はもう一度厚生大臣をやりたい言つている……」「との主旨をのべた」「これではこの会合に対する流説が真実をついたとしか思えない」(以上第四面第二ないし三段)等の記事において、原告が古井前厚生大臣を称するのに、古井氏あるいは古井さんといわず、ことさらに『古井様』と表現して、(他では古井氏あるいは古井前厚相といいながら原告の言葉としてのみ『古井様』という。)いかにも原告が阿諛・追従・軽薄の徒らしく世間に見せかけ、その信用を傷つけるとともに原告を侮蔑々視した。

(ハ) 九月八日の右講演会場には遠藤日医常任理事および被告をとりまくとみられる一五、六名の医師会員が出席したが、同人らの態度はまさしくいわゆる会社の総会荒しを思わせるもので、終始講演妨害のやじをもつてし、講演終了後の遠藤の古井に対する質問に当つては同人等一同でいわゆるさくらがましい一斉の拍手を送ることにより、気勢をあげることに努めた。

ところが、記事には、「会場は遠藤理事の反駁の区切り毎に破れるような拍手を送つた」「遠藤理事は右の反駁を終ると……『御答弁はいりません』と席を立つて帰りかけた。古井前厚相と司会者はあわて……」「しかし逆説的に言えばこの一言(歴代の厚生大臣中、仕事をしたのは古井さんだとの言葉を指す如し、)は主宰者のよこしまな意図を場内に徹底したことになつたののではないか」「この会合は……主宰者と古井氏を狼バイさせたにとどまつた」等(第四回第八ないし末段)と叙上事実に即しない歪曲した記事を掲載し、原告の「よこしま」な「たくらみ」が出席者一般から痛烈な反撃を受け、ついに「失敗に帰し」たと理由のない誹謗中傷をしてその名誉を毀損したものである。

五本件記事掲載行為は、被告の故意もしくは過失によるものである。

被告は、上記のとおり、本件記事を掲載することによつて、被告と別の思慮意見をもつ者を異端者、裏切者扱いし、これを非難攻撃するにとどまらず、ざん謗して抹殺し、これにより日医会長としての生命と威厳の保持をはかつたものであるから、本件記事の掲載は被告の故意によるものというべきである。

かりにそうでないとしても、およそ本件記事のような記事を執筆掲載するにあたつては、その真偽につき十分検討し、かつ、その措辞・文章の表現方法につき当該対象人物の名誉を毀損しないよう十分配慮すべきであり、被告においてその検討および配慮に慎重を期したとすれば、これが事実に反し、原告の名誉を毀損するものであることは容易に明らかにされ得たにもかかわらず、これを怠り、本件記事を掲載するに至つたことは、すくなくとも被告の過失によるものというべきである。

六かくて、原告は、被告の本件記事掲載行為により不法に名誉を毀損され、精神上多大の損害をこうむつた。

七よつて、被告に対し、右名誉回復のため、前掲のとおりの判決を求める。

(被告の答弁)

一原告の請求原因一の事実のうち、原告が日医の会員としての義務を忠実に履践し、医政諸問題に対しても終始協力して責務を遂行して来たことは否認し、その他は、認める。

二同二の事実のうち、原告主張の頃保険医療辞退が行われたことは否認し、その他は認める。後に述べるように、昭和三六年七月三一日政府との合意によつて、懸案が解決し、同月一五日(灘尾)厚生大臣主催の医療懇談会の発足を機会に、日医常任理事会の決定により、従前の「日医特報」を「日医ニユース」に改めて発行することとなり、同年九月二〇日にその第一号が刊行された。

三同三の事実は認める。

四同四の事実についての答弁は、つぎのとおりである。

(一)  同四の(一)の事実のうち、「単なる噂話のような書き出しをしている」とある部分、「もつともらしさで詳細を極めている」とある部分、「全然事実無根のこと」とある部分および「策動分子、陰謀家、権力追従者であるかのよう誤つた印象を与えるべく宜伝した」とある部分、「架空の批判と評価を報じ、原告を侮蔑劣視してその人格を傷けようとした」とある部分は否認し、その他は認める。

(二)  同四の(二)の事実のうち、冒頭から「着取できるところである」にいたるまでの部分は認め、その他は否認する。

(三)  同四の(三)の冒頭および(イ)の事実のうち、昭和三六年八月二七日学士会館において二〇名足らずの者の会合が開かれ、古井前厚生大臣も出席したこと、同年九月八日学習院講堂において古井を加えた会合があつたこと、原告が右八月二七日の会合に若干遅刻して来たことおよび「日医会費供託の動き」以下「これは見事に粉砕された」(第四面第二段)にいたるまでの部分は認め、高橋専務理事が右八月二七日の会合に出席していなかつたことおよび原告がその主張するような大渡順二と同年九月二〇日頃にいたり初めて面識を得たことは知らない、その他は否認する。

(四)  同四の(三)の(ロ)事実のうち、原告主張のような記事の掲載があることおよび古井前厚生大臣を称するのに「古井様」「古井さん」「古井氏」「古井前厚相」の表現を用いていることは認め、その他は否認する。なお、原告が昭和三六年九月八日に行つた話の内容は、まさに「古井様」という言葉を用いて表現するにふさわしいものであつた。

(五)  同四の(三)の(ハ)の事実のうち、「一五、六名の医師会員が出席したが」とある部分および「会場は遠藤理事の反駁云々」以下「等」(第四面第八ないし末段)」にいたるまでの部分は認め、その他は否認する。

五同五の事実は、否認する。なお、被告が本件記事を掲載した目的が原告の主張するような原告の名誉を傷けることにあつたものでないことは、後述のとおりである。

六同六の事は実否認する。

(被告の抗弁)

一本件記事掲載行為は、被告が日医会長としてなした正当業務行為であるから、違法性を阻却する。

<以下省略>

二かりに、右の被告の主張が理由がないとしても本件記事の内容は、公共的利害に関する事項について、専ら公益を図る目的で事実の真相を報道したものであるから、本件記事の掲載行為は、違法性を阻却する。

<以下省略>

(被告の抗弁に対する原告の答弁)

<以下省略……編者注・被告の抗弁のうち事実的主張の一部は認めるが、その余は否認する>

(原告の証拠関係)<省略>

(被告の証拠関係)<省略>

理由

一原告主張の請求原因の一および二(ただし、原告が日医の会員として、その義務を忠実に履践し、医政諸問題に対しても終始協力して責務を遂行してきたとの点および原告主張の頃、保険医総辞退が行われたとの点を除く。)の事実ならびに被告が日医ニユース第一号第一面および第四面に本件記事を掲載したことは当事者間に争いがない。なお、本件記事のうち、別紙記載の(二)の記事については、証人遠藤朝英の証言および被告本人尋問の結果により、同記事は、別紙記載の(一)の記事にいう「別記」に該当し、被告が日医ニユース編集委員会に委嘱して作成、掲載せしめたもので、別紙(一)の記事とともにその責任者は被告であることが認められる。

二そこで、まず、本件記事の掲載が原告の名誉を毀損するものなりや否を判断する。

およそ、人は地域社会の構成員として生活するとともに多から少なかれ、職域的団体に所属して社会的活動に従事し、各人の社会的地位に応じて社会に貢献しているという名誉と感情をもち、自己の所属する団体の秩序をみだす者であるとの指弾を受けることはその者にとつて不名誉なことであり、社会の不評を招いてひいてはその社会的活動を封ぜられることにもなる。したがつて、かような内容の記事を掲載することは、特別の場合において違法性が阻却されることがあるのは格別として、その者の名誉を毀損する違法な行為であるといわなければならない。

本件記事には、「桐野一文、岡本丈を中心とした」、「御用第二医師会設立の準備」、「第二日医設立による医界の分断工作」、「主催者が満場の反撃をうけた」、「異端分子」「医界攪乱の動き」、「主宰者のよこしまな意図」等の辞句が用いられ、これを一読する者をして、原告が日医に反逆してその分断を策し、日医会員たるにふさわしくない団体生活の秩序研壊者であるとの印象を与えるものである。

そうすると、本件記事掲載は、原告の名誉を毀損する行為というべきである。

三ところで、原告は、本件記事掲載行為は、日医会長としての正当業務行為であると主張するからこの点について判断する。

(一)  <証拠>を総合すれば、「被告は、昭和三二年四月、日医会長に選任せられ、じ来、理事会(一五名)並びに常任委理事会(七名)を主宰して日医会長としての業務を遂行してきたが、特にわが国における医療制度ならびに医療保険制度の前途を憂慮して、主務大臣に対してこれに関する建議を行つてきたこと、そして昭和三五年八月一八日以来、被告を会長とする日医、河村弘を会長とする日歯が政府の国民皆保険制度の抜本的改革として、制限診療の撤廃、一点単価の引上げ、事務繁雑化是正および甲乙二表の一本化と地域差の撤廃といういわゆる四項目の実現を政府に要望するに至つたこと、そしてこれを強力に推進するために、昭和三六年一月二一日、日医の理事会は、日医会長を闘争本部長とする闘争本部の設置を決定し、全組織を挙げての闘争態勢に移行し同年二月八日、「日医特報」を発行して全国会員の結束を図りながら、同月二一日、去る三月五日を期して全国一斉休診の実施を通達するに至つたこと、そしてさらに、同年七月八日告示された点数改正の厚生省告示をめぐつて闘争は激化され、ついに同月一九日、日医、日歯、日薬三会が同年八月一日を期して社会保険に関する一切の団体契約を解除することを決定した旨のいわゆる八・一統一行動決議という非常の事態に発展するにいたつて、政治問題となり社会の批判の対象となつたこと、そして、同年七月三一日、ようやく政府との間に合意に達し、闘争態勢は、これを解くことになつたが、しかし事態は根本的に解決したわけではなく、残された問題も多いので、今後も全国会員に事態を周知徹底せしめ、あわせて意思の疎通を図るため、日医の常任理事会において同年八月一五日、厚生大臣主催の医療懇談会の発足を議会に「日医特報」を「日医ニユース」に改称し、引き続き発行することを決定したことが認められ、他に以上の認定を覆すに足る証拠はない。

右事実によれば、本件記事掲載は、被告の同人としての行為ではなく、日医会長としての義務に関する行為であるということができる。

(二)  しかしながら、被告の日医会長としての義務の執行は、それが正当な業務であるためには、定款に従い、または社会的に是認される手続と内容によるのでなければならない。さらに、ふえんして考察する。およそ法人の理事は、その法人の一切の事務を処理し、その内部組織を維持する権限を有し、その団体活動(法令または定款で定める目的による制限があることはもちろんであるが、その点はしばらく措く。)にあたつては、その裁量で基本方針を決定するとともに、内部の結束を促し、これに従わない構成員に対しては適当な措置を講ずる責務を有すると解するを相当とするが、しかしその措置は、定款に従い、あるいは社会的に是認されるものでなければならないのである。けだし、さもなければ、反対派の意見と批判は不当に抑圧され、団体執行部の独裁に偏するおそれがあるからである。すなわち、本件において<証拠>によれば、「日医の会員であつて、日医の倫理に違背し、会員たる名誉又は本会の名誉を毀損した者または本会の定款に違反し、著しくは秩序を乱した者は、裁定委員会の議を経て戒告又は除名されることがある」旨定款(第九条)で定められ、さらに裁定委員会規定第三条但書には「会員であつて本会の定款若しくは決議に違反し又は会員たるの名誉を毀損したと認める者については下部医師会の裁定をまたず定款第九条によりこれを裁定すべきものとする」旨定められているのであるから、被告において、その主張する原告の反日医的行為(被告の抗弁一の(二)の事実)が右の定款の定めるところに該当すると認めるならば、裁定委員会に付議すべきであるし、もしそれを相当としないとしても、直ちに本件記事掲載のごとき挙に出ずることなく、原告に弁明の機会を与えて、その反省を求め、あるいは警告する等の措置を講ずべきであり、かような措置こそは社会通念として是認される措置というべきである。

しかるに、かような措置が採られたことは本件全証拠をもつてもこれを認めることができず、しかも本件記事の内容が社会的に是認することのできない不当なものであることは、上記認定のとおりであるから、本件記事掲載は、これを目して被告の日医会長としての正当な業務行為ということはできない。

被告は、およそいかなる社会団体においても、多数者の代表者として選出された執行部としては、その構成員の一部の者が外部と通じて分派的行動に出た場合には、その団体の規律と統制を維持するためにこのような措置をとることは当然であると主張するが、かような考え方こそ、事態を悪化させ、わざわいのもととなるものというべく、上叙の社会通念に照し到底採用することができない。したがつて、被告の抗弁は理由がない。

四つぎに、被告は、本件記事掲載は、公共の利害に関する事実に関し、かつ、公益を図る目的をもつて事実を報道したものであるから、違法性は阻却されるべきであると主張するので、さらにこの点について判断する。

<証拠>を総合すれば、上記のような情勢で医療問題が進展しなかつたとき、原告を含む日医の一部会員有志の間では、被告を会長とする日医の執行部の運営ならびに運動方針に批判的で、もつと保険者側、被保険者側の人違とも話し合い、医療保険制度をみずから理解し、研究をすべきであるとの気運が生じ、昭和三六年六月頃から国民医療に関する懇話会を開くようになつたこと、そして、同年七月一六日、右の趣旨で原告が主催者となつて板橋医師会館において、従来、日医の方針に反対の日病参与平賀稔、健保連常務理事高橋徹雄らを招いて講演会を催し、四、五〇名の出席者があつたこと、ついで、同年八月二七日、学士会館において、全同様の趣旨で、塩月正雄が主催者となつて、前厚生大臣古井喜美の話を聞く会が催され、二、三〇名がこれに出席し、その際たまたま日医の会員である川崎有美稲から日医の民主化のため日医会費を供託してはどうかとの、激しい発言があつたが、その趣旨が必らずしも明らかでなく、単なる個人的なその場かぎりの思いつき程度のものであつてこれに賛同する者はなかつたこと、原告は、当日、他に所用があつて、同会の終り近くなつて参加したこと、さらにまた、同年九月八日、前同趣旨で原告主催の下に学習院において、古井喜美の医療問題に関する講演会が催され、約一二〇名がこれに出席し、原告の開会の挨拶に次いで古井喜美の講演があり、日医の常任理事の遠藤朝英が右について質問し激しく反論した(これらの内容および会場の状況は、主催者側によつて録音テープに収められた)ことが認められるにすぎず<証拠>のうち原告の主張に符合する部分は右認定に照し採用することができず、他に本件記事の真実性を証すべき証拠は見当らない。

そうすると、原告の右行動をもつて本件記事に表現される行動と断ずることは事実に反するものといわざるを得ず、被告の違法阻却の抗弁は理由がないといわなければならない。

五よつて、被告に故意または過失があつたか否かにつき判断する。

<証拠>によれば、「この間、上記八・一統一行動の収拾をめぐつて、原告らを中心とする一部会員の日医の執行部に対する批判はますます激しさを加え、被告を首めとする日医執行部は、全会員の一層の団結を強化する必要に迫られていたところ、日医の編集委員会のメンバーその他から、日医会員である原告が日医と反対の立場にある日病、健保連および主務官庁の一部の者達と行動をともにし、みずから責任者となつて会員に呼びかけたとの情報を得て、ここにいたつてはこれを分断工作といわざるをえないと速断して、上記のごとく原告に対し警告を発する等適当な措置を講ずることなく、本件記事を掲載するにいたつたことが認められ、右事実によれば、本件記事掲載にあたり、被告に、ことさらに原告の名誉を傷つける意図がなかつたことはもちろん、本件記事が原告の名誉を毀損するものなることについての十分な認識を欠いていたことが認められるが、しかし、被告は、日医の会長として、その職務を行うにあたつては、上述のごとき他の適当な措置を採るべきであつたし、また、本件記事のごときの内容の記事を掲載するとしても、その内容たる事実の真偽について十分に調査し、かつ、その表現方法についても、いやしくも人の名誉の毀損もないよう注意すべきであつたにもかかわらずこれを怠り、日医の執行部に対する批判の激しさの余り、本件記事を掲載するにいたつたものというべく、小なくとも被告は、過失によつて原告の名誉を毀損するにいたつたといわなければならない。

六そうすると、被告の不法な本件記事掲載行為によつて、毀損された原告の名誉は回復されなければならないが、上記のごとく本件記事掲載が公共の利害に関する事実に関するものであること、被告が多年日医の会長たる要職にある者なること、原告を中心とする一部会員の日医の執行部に対する批判も相当に激しく、原告側においても反省の要があると認められること、その他前示諸般の事情を考慮し、本件記事によつて毀損された原告の名誉を回復するに適当な方法として、主文のとおりの取消記事の掲載を命ずるをもつて十分であると認める。

七よつて、原告の本訴請求は、右認定の限度において理由があると認めてこれを認容し、その他を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条および第九二条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官 杉本良吉 裁判官 土屋一英 裁判官日高千之は転任につき署名することができない)

記   事

(一)『突入後の脱落医師と公的医療機関勤務医師をもつて第二医師会を設立せしめ、中央にも第二日医の設立を企て、医療評論家と称する札付ジヤーナリストを事務局長に据えるべく万端の用意はなされていたのであるともらされている。従つて妥結により最も落胆したのは事務局長候補氏であつたと云われ、その後のテレビ等で、最後の悪アガキをしたことは御承知のとおりである。

第二日医設立による医界の分断工作は八月二十七日学土会館における古井前厚相、日病平賀参与、健保連高橋専務理事都医代議員桐野一文、岡本丈氏等を中心とした日医会費供託等の動きとなり、更に学習院講堂における古井、桐野、氷見諸氏の講演会となつたのである。今日も分断工作は終つていないことを忘れてはならない。両会合において主催者が満場の反撃をうけたことは別記の通りである。又板橋区医師会は闘争中日医特報を会員に配布しなかつた事実もある。』

(二)『総辞退が回避され、懇談会は店開きし、医療問題は解決の前の僅かな間げきを縫つて、統一行動に反対した異端分子やこれに非協力だつた分子が、医界かく乱の動きを見せるであろうことは予想されていた。

東京都は日病の本拠であるところから、早くも八月頃にこの種の動きが見られた。本稿並びに次の記事はこれらの攪乱会合の実況と結果のルポである。

三十数年来圧迫に圧迫を加えられてきた保険医療は、医療懇談会を契機として百八十度の大転換をして、漸く前向きの態勢となつてきた。にもかかわらずこの世紀の大事業をくつがえそうとする運動が起つているのは甚だ奇怪である。

去る八月某日東大赤門跡の学士会館で二十名足らずの会合が行われた。古井前厚生大臣と毎日新聞論説委員を囲む懇談会である。日病参与、医師会運動に背離的行動をして医師会を脱会した人、医師会の大会において時の厚生大臣(古井)に抗議団として主役を演じた人、某組合勤務医師等がイニシアチーブをとつて会が行われた。その講ずるところ終始日医攻撃で鞭撻ではない。挙句の果ては、日医会費を供託して日医を失脚せしめようという動議が出されたがこれは見事に粉砕された。むしろ組合勤務医師が欧米の医療の在り方殊にアメリカ医師会の強靱さを推奨し、日本の医療においても医師会が強力となることを主張したのに比し、医師会員でありながら古井前厚生大臣におもねるような動きは、その真意を疑わしめるものがある、しかも「今までの医師会運動は無駄であつた。静かにしていた方が単価は上る率が多い」との言辞に至つては、まさに保険官僚の代弁であり、医療問題の本質をおき忘れた自己否定である。これは医療団体がスクラム組んでの計いであつたことすら理解していない。実態曲解も甚だしいものである。

今回の運動は地区医師会の盛り上りに端を発し医界ぐるみの行動であつた。その最大公約数をひつさげての獅子奪迅の日医執行部を非難し、反対せんがための反対を更に拡大しようとする動きは医界の良識が許さないであろう。九月四日は城北ブロツクの某医師会が担当して会が持たれた。更に九月八日は学習院講堂で古井前厚生大臣に保険医療をきく会が催された。

しかし、これらの一連の動きは、何れも失敗に帰し医界は問題解決の新段階に健康的な問題をつづけている。

古井前厚相反日医有志の会で

実行せざるの長広舌

反駁に当人も主宰者も狼ばい

去る九月八日午後二時から東京都目白の学習院講堂で、「古井前厚相に医療問題をきく」との都医有志の会合があつた。これは豊島区の前医師会長桐野氏が代表で招集したもので、都医師会員間にはこれは反日医グループが、医界攪乱の足場としようとするたくらみだとの流説が乱れとんだ。桐野氏は古井氏に話をきく理由に、今回の医界のとつた方針を攻げきし、

手ツ取り早いのは経済問題、敵の実状を知らねば敗れる。古井様の顔を見たものは会員の中に殆んどない。

歴代の厚生大臣中、仕事をやつた人は古井様だ。カナマイシン採用、今度の大臣告示等いろいろやつた古井様はもう一度厚生大臣をやりたいと言つている。在任中の裏話がききい。との主旨をのべた。

恐るべき理解のなさである。これではこの会合に対する流説が真実をついたとしか思えない。

何れにしても前党三役の公約をヘイリのように破り、診療費に病院、診療所の格差をつけ、権力行政を強行して八・一行動のもとを作つた古井前厚相の話をきくとあつては、黙過し得ないものがある。これを考慮して、日医の遠藤常任理事、都医の河島副会長、島羽理事、都医広報委員長島田氏らも顔を出した主宰者桐野氏の外に氷見団十郎氏らの顔もあつた。

古井前厚相は約一時間に亙つて講演した。が、その内容は厚相時代に新聞発表をした幾つかのアドバルーンをあげ、実行せざるの釈明に終始していた。要約するに次の諸点である、

1 ソ連・中共の政治を手放しでほめはしなかつたがその偉大さを指摘。日本の自由民主主義にも欠陥があるとし、それは格差の増大であるとした。

2 制限診療の緩和は、現物給付が問題であるから、療養費払いや差額徴収によつて行ないたかつた。

3 各種保険の一元化、行政機構の改革等も実行したかつた。

4 中央医療審議会の改組にのり出したのは自分であると見得を切つたが、その改組案が流れた真因については一言も触れない。

5 告示問題については、予算のかく得で大蔵省がしぶかつたことを攻げき、また、告示の前に自民党首脳から告示待つたの要請があつたが、これを拒否したと告白。

6 医師会は二十銭や三十銭のことで騒いだと放言。

7 医師会は病院を目の仇にする。私の地元でも医師会が反対した病院が出来上つて見ると今は有難がつている。これなどは問題の核心を一つも理解していない。また話の中には盛んに欠席裁判はいけないの言葉があつたが、ミイラ中央医療協を開いて医療団体のいないところことを諮つたのは欠席裁判ではなかつたらしい。

以上の内容に対し、遠藤常任理事は、質疑応答にはいるや質問の第二陣に立ち次の如く皮肉まじりに舌鋒鋭く大反ばくに出た。

私は古井先生が悪い行政をとられたので、どのように反省の話をされるかを若干楽しみにしてきた。ところ古井先生のお話には一片の反省もない。

古井先生は幾つかの実行目標をあげられたが、それは悉く医師会が、それは悉く医師会に提出した項目であつて、あなたの創意によるものはない。しかも、何れもあなたが新聞発表によつて辞令とした項目ばかりである。

制限診療をなくする件については、あなたは二つの構想を示されたが、制限診療の内容はあなたが理解されているものとは異質のものである。制限診療を差額徴収と療養費払いで処理したのでは、あなたのお話の冒頭にある格差はますます大きくなり、医療は逆立ちからストリツプに追い込まれてしまう。あなたのお話は理論的にも矛盾する。

あなたは診療費の引上げに伴う予算について、一〇%でいいとした。党の医療特別委員会は一円五〇銭の単価引上げ即ち一五%を決定した。

われわれも三円に較べて不満ではあるが、筋が通つているので、我慢した。あなたが今日お話のようにやる気さえあれば、一五%で予算がとれた筈だ。

あなたは医師会は病院は怪しからんというと言われた。日本医師会は病院、大学、診療所を含めての専門団体であり、病院、診療所も仲よくやつている。それをことを曲げていうのは全国の医師を侮辱するものである。厚生省は堀木時代からあなたまで、自分達の言うままになるカイライとして日病を作りわれわれの自治を乱した。この悪行政に対して全国の医師は憤りを感じているのだ。病院は怪しからんとは誰も言つていない。

あなたは、今、日本医師会が、二十銭や三十銭のことで騒動を起したといわれた。医師会はそんなミミツチクはありません。約束も守らず、取れる予算もとれなかつたあなたの方がミミツチかつたのです。

もつともいいたいことは沢山ある。要するにいい加減なこと、事実に反することを言つて、われわれの会員を惑わすだけはやめて頂きたい。私はあなたの在任中、党出身の大臣としての責任を果されなかつたと思う。

どうか今後は党員として誠意のある言動をして頂きたい。

会場は、遠藤常任理事の反駁の区切り毎に、破れるような拍手を送つた、古井前厚相の講演中も「皆さんに大分御迷惑をかけたと思いますが」に、「その通り大迷惑だつた」――」御不満が多かつたと思う……」に「大不満だつた」等のヤジがとんでいた。

遠藤常任理事は、右の反駁を終ると、「御答弁はいりません」と席を立つて帰りかけた。古井前厚相と司会者はあわててどう一言だけいわしてほしいと遠藤常任理事を呼びとめた。

古井氏は、「予算措置の舞台ウラは遠藤さんより私の方がくわしい。あれは、池田首相も党三役も了承の上で決定したものだ」と釈明にかかつた。しかし、

それならば、何故あなたは七月八日の告示の前に党首脳から告示待つたの要請があつたとき、それを拒否したのです。この事業は何よりもあなたの独走を証明している。

と遠藤常任理事から切り返され、完全に言葉を失つてしまつた。

なお、遠藤常任理事に、当日の感想を求めたところ次のように語つた。

後は開会におくれたので、会の主宰者から歴代の厚生大臣中、仕事をしたのは古井さんだとの言葉があつた、とあとできいた。これは大変な間違いである。カナマイシンの採用の如きはもともと事務処理程度のもので、これは日本医師会が、大臣決さいでやれると前から出してあつた問題だ。

今回の権力告示も業績の一つにはいつているというのにはおどろく外はない。

これはこの主宰者が、今回の医療三団体の統一行動に協力したかを疑わしめるものだ。

しかし、逆説的に言えばこの一言は主宰者のよこしまな意図を場内に徹底したことになつたのではないか。

時日があれば、中央医療協改組の件についても言及したかつた。改組案を出したのは古井さんだつたが、アグレマン問題で事務局の非民主的な執拗な意見に屈して、流産にしたものも古井さんである。

古井さんは、今回の医療紛争で盛んに世論々々をうたつていたが、古井さんの世論は古井さんのパイプが作りあげた空疎なママスコミ論調を言つているのだ。毎日紙の五島論説委員が、古井さんについて来ていたので、世論の件で一矢報いようと思つたが、それはやめにした。

古井さんの話をきいて、私は古井さんが余りにも問題を本質的に理解しておられないのでおどろいた。これではあのような権力行政の出たのは無理ではないというのが、私の印象である。

この会合は、古井前厚相が権力官僚の正体をバクロし、その行政の空疎であつたことを参会者に認識させ、その上、主宰者と古井氏を狼バイさせたにとどまつた、唯一の効果は古井行政の悪さを参会者に深く認識させたことにあるようである。』           以 上

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